2015年5月12日火曜日

迷子の扱い

めだか飼育をやっていると、どうしても、迷子というか、紛れ込む稚魚が出てくる。


今年は一対一交配にこだわっているので、これまでよりかは改善されるだろうが、
さっそく、種親水槽にしていたものを転用したものから稚魚がではじめた。

一対一交配の抱卵とか孵化を気にしているその脇で、ぽんぽん孵化しているというのはむかついてくるものだ。

とはいっても、せっかく生まれた命の前では、保護本能というか、オジさんのなかにある10%の母性がうづいてくる。

せっせと集めては、ひとつの水槽に入れてあげて、餌をあげてしまうのだった。
ところが、孵化ラッシュがきていないこの時期、この寄せ集めの作業が楽しかったりもする。種親水槽の環境のために浮かべておいたホテイアオイにもごっそりと卵が。
これも、ひとまとめにしてあげる。
なんだかんだで、30匹は孵化しただろうか。
最終的に200匹くらいにはなるのではないだろうか。


結局、育て上げてキープしておいたとしても、出自が不明だから、里子に出される可能性が99%で、来季の種親に昇格するのは1%以下の確率になる。

しかし、この敗者復活戦のような境遇には共感を覚えてしまうのだ。
鑑賞メダカの場合、もう、100%がルックスとプロポーションだけで選別されるので、遺伝に逆らうのは難しい。
かたや、人間の場合、ルックスとプロポーションだけではない要素が加わる。
頭の良さ、性格の良さ、経済力。
産まれ持った環境のハンデをくつがえす可能性がわずかにあるはずだ。
しかし、現在の格差社会においては、なかなかハンデをくつがえすのが難しくなっている。

松井ヒレ長の発見経緯を聞いたが、大量に養殖されている中に出現した突然変異。
お客さんがなにげに発見しなければ、世にでていなかったもの。
こういう事がまれにあるとすると、少しは我々人間にも望みはある。

とはいっても、40後半にさしかかる私などは、これから、背中の光がのびるはずもないのだが。

生物学的にみれば50歳を超えたオスは必要ではない存在だという。
それって、残酷だけども真理をついていると思う事がある。
さっさと退いて、若い人に経験をつませるチャンスをつくってあげたほうがいい。
いつまでも水槽を占拠して餌を無駄に消費するだけではいけない。
もしくは、50歳を超えてから、ここまで光とヒレがのびるんだよ、という生き様を証明してあげる事だろうか。

ヒレ長系は成長とともにヒレが伸びていくらしい。
長生きに価値を見出そうとするメダカの抵抗なのかもしれない、などと思う。

連休中にも家族づれがたくさん出歩いていた。
親子というものは、他人からみれば、よく似てるなと思う。ちいさい子供はみなかわいらしい。
幸せそうでいいなあとおもうのだが、子供も徐々にDNAの作用でいいところわるいところの特徴が発現してくる。
ああ、遺伝って残酷だなあと思うケースもある。そして、さすが、いい遺伝子だなあと思うケースもある。


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